20180731

喫茶「道」。【彦崎喫茶事情】



いまは「貸間あります」。
昔は喫茶「道」。1975年あたりのことだろうか?
名前のインパクト彦崎一。
そのご近所に
喫茶「夢眠」もある。
この周辺は木工業も盛んだが
喫茶もさかんなのか。それも漢字シリーズ。
以前にも話したが彦崎には
喫茶店なるものはあっただろうか?
思い出しても植松の「亜土」しか記憶にない。
こちらは植松なので彦崎じゃない。
駅前に飲食店は「川上食堂」だし。
「大空ストアーの前身」はお好み処。
磯には「とんちゃん」ぐらい。
なのでこの1975年頃の「道」が
最初の喫茶店といことになるのか?
そういえば。
いやそれとも「夢眠」の方が・・・。

しかし、敷地の広さはさることながら
いさぎよい名前といい
この個性的なまるで大魔神のような屋根のデザイン。
この存在感はなんたって「道」に軍配だ。

すでに喫茶業はかなり前に廃業だが
なんども言うが「貸間」はあります。
いくらぐらいなのだろう。貸間。 

0165
 
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彦崎喫茶事情。
純喫茶かどうかしらないが
彦崎の喫茶は夜はスナックの役割もしていたのだろうか?
本当に彦崎でお酒を呑みに行くところは現在ではほぼ無いに等しいのか。
喫茶店も現在でも皆無。
2018/0731/13:53

この倉敷川周辺は材木街なのか彦崎の木工所事情。



話を戻して「稔橋からシリーズ」。
国代木工所が無くなった今。
彦崎にはここ福江木工所。
そして22号線を挟んだ福森工作所のみだ。
そう思い起こせば彦崎在住時は
よく山の方からチェーンソウの音が
どこからともなく聞こえてきたものだ。
1970年あたりに出来た林道も
林野庁管轄の林業にたづさわる
「民有林林道」ということ。
となると意外と彦崎は林業が
盛んだということだろう。

どんな作業をしてどんな木を切り出したか
興味のわくところだが、その姿を見たことはない。
灘崎町史を見ても
林業の話はほとんど語られていない。
とにかく確認できただけでも
木工関係は3カ所あったのは事実。

そしてこの福江木工所。
灘崎中学校へ通う通学路途中で
毎日目にするこの風景。
彦崎にはずれでもあり、
「いってらっしゃい」位置にあり。
個人的には心強い風景としての記憶。
現在も昔と変わらない彦崎原風景が残っている
貴重な場所だ。と私は思うよ〜。

01642011-09-28 12:54
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彦崎は昔から林業が盛んだったのだ
その証拠に福江木工所、国代木工所等が存在する
現在では国代木工所は廃業したが他はどうなのだろうか?
岡山の林業は古くは古代から続いている、もともとタタラ製鉄の過程で
切り出された森林伐採。その歴史の痕跡が彦崎にあるのかもしれない。
2018/0731/13:49

ロウキー。彦崎・狐崎ヒルズを襲う!たぶん。



9月21日(水)
台風15号。
前回、彦崎を直撃した12号から2台風飛ばし。
アジア名は「Roke(ロウキー)」。男子名だ。
彦崎では狐崎の裏山崩れ
7世帯12名に避難勧告をだした憎いやつだ。

ツイッターでの噂は
「狐崎」クロスロードの裏山。
近くに一方通行の通学路があるらしい。
桜土手のことか?
それとも稲荷神社から山側に入る道のことか?
とにかく、山は秋葉山のことだろう。
考えたが、秋葉山なら秋葉山と噂するだろうに。
となると、やっぱりあの稲荷神社裏の雑木林。
あそのことだろう。
清美ちゃん側の細道からも入れる
あそこか。となると頂上は
雲さんちということになる。

いわゆる天理教の上。
狐崎を過ぎたアタリ天理教の手前に
細い道がある(写真/狐崎ヒルズへの道)
そこを上がっていくと小高い丘になっていて
雲さんちがあったのだね。
眺めもよく、不思議な場所だったよ
今もあるのだろうか?
レックタウンが出来たものだから
ちょっと景色も変わったが。
とにかく秋葉山より狐崎に向けて広がる狐崎ヒルズ。
今年は訪れてみよう。

そうそう。
当日の母親特派員からの「崖くづれ情報」は
用木か大谷だとのこと。
これはまったくのデマだったわけだ。
敵もなかなかやるな。
163

2011-09-22 18:40 
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2011年9月21日台風15号ロウキー。
彦崎も浸水したらしい。
磯の一部も水が引くまで3日かかったと
江東特派員(当時吹田特派員)。
磯の重鎮として貴重な情報が届く
2018/0731/13:38

20180727

これこれ。赤い長二等辺三角形のEXPO'70ペナント。



天城高等学のペナント共に
飾られてたのがこのEXPO'70。
彦崎小学校3年生で
井倉洞にいった秋。
次の年である1970年は大阪万国博覧会の年。
当然だが小学校4年だ。
1969年から万博だより的な番組も盛んで
嫌がおうにも盛り上がり、浮き足立つ。
あまりにもインパクトがありすぎて記憶がない。
ただこの長二等辺三角形のペナントが
窓の上の壁に飾られてる。

習字の時にひく敷き布の様な素材。
そう。フェルト材。
軟らかく、水をはじく。あの素材だ。
その真っ赤な長二等辺三角形のフェルトに
大半を占めるEXPO'70の文字。
のちのちボロボロと落ちてくる。
金箔もどき。
その狭い下部及び先っぽスペースに
所狭しとパビリオンの安っぽいイラストが書かれている。
確認できるパビリオンを以下に明記しておこう。
左から
・太陽の塔
・アメリカ館
・カナダ館らしき
・富士パビリオン
・日本館
・オーストラリア館
・電力館らしき
・ソ連館
・英国館
・自動者館らしき
・ケベック州館らしき
・歩く歩道らしき
先っぽ
・オランダ館
・古川館
・日本庭園らしき
以上。

イラストがかなりへたくそなので
かなり判断がむずかしい。
そんなペナント250円〜500円で売って
ボロもうけしたのに違いない。

しかし、このイラストはなにチョイスだろうか?
個人的にはあのウサギ館
「ガスパビリオン」が書かれてないのが納得できない。
たぶん曲線で書きづらかったのか。

とにかく万博の閉会は
1970年9月12日の秋。 

0162
 
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いまはもうこのペナントはない。

ペナントの運命だろう。なぜ旅行先にペナントなのか。
現在ならインタ映えとかいって写真は撮り放題
旅の思い出に事欠かないが、現在はいくらでも記録ができる。
写真においても一枚一枚丁寧にとったものだが
これまたとり放題、現像プリント代なんて気にするここともない。
2018/0726/17:16

1969年10月21日秋の遠足「井倉洞」。



中村先生なので
小学校三年の遠足。
井倉洞だ。

渋い小学生は断然「満奇洞」。
断然マイナーなところに魅力を感じてしまうのか。
よって赤い橋もなく、滝なんていうアトラクションが存在しない
ひたすら暗い鍾乳洞だ。

なのでかしらないが遠足は大々メジャーの
井倉洞だ。
全員水筒のたすきがけも右がけで統一。
左利きの私でさえ。右がけに。
何かの指導が入ったか。
中村先生は厳しかったからね〜。

この小学校三年秋の遠足は写真が残っていたのでかろうじて
学年と内容が一致したが、
他はほとんどが内容と学年が一致しない。
この際なので遠足リスト。



秋の遠足
6年生/京都・奈良修学旅行
5年生/姫路城・手柄山公園
4年生/
3年生/井倉洞
2年生/
1年生/

春の遠足
6年生/金甲山
5年生/
4年生/
3年生/
2年生/
1年生/

候補/郷内・熊野神社、池田動物園、笠岡の天文台・科学館、王子が岳、倉敷美術館、
0161
2011-09-20 20:28 
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小学校の思いでといえば遠足は外せない。
しかし、行った場所と学年が結びつかない。
最近、貴重な写真を発見したので少しは糸口があるかも。

横に長い二等辺三角形の天城高校ペナントのある部屋。



いまではこんなに落ちぶれた部屋だけど
数年間の故郷での記憶にある部屋はここ。
夜になると人っ子ひとりいない恐怖の工場2階。
トラウマなのか
常に夢に出てくるのもこの部屋で
左の窓から新しい自宅を見渡したり
右のまどから明石山から天神山方向とか
空のオリオン座を見渡すわけだ。
この部屋でコタツに入り、よく寝ていたものだ。
本来の部屋はここを出た階段を挟んだ4畳ほどの部屋。
そこに移動するには
誰もいないだだっ広い真っ暗な廊下を通らなければいけない。
ようはこの部屋から外に出ることができなかったのだ。
怖くて。

確か右の窓上に
兄の高校である天城高校三角形のペナントと
大阪万国博覧会の三角形のペナントが張ってたはず。
いや、兄が修学旅行で勝ってきた宮崎・日南のペナントか。
当時はおみやげといえば二等辺三角形のペナントと相場が決まっている。
しかし、県立高校の購買部にペナントが売っているなんて
へんな時代だ。それを飾るかしかし。

この部屋は
本来、この6畳ばかりの部屋は会社の休憩室のようなもの
当初は大型家具調テレビが鎮座し
お昼休みにはおばちゃん達がタムロしたものだ。
会社の施設でもあるのだがテレビがあることをいいことに
夜な夜な家族が集まり「ザ・ガードマン」
「キーハンター」はほぼここで見たはず。
土曜日などは植松の祖母を巻き込んで5人で川の字で寝たり、
その流れで日曜日にお袋が布団の綿をついでに交換したり。
かなりしあわせマックスな記憶が蘇る。
そんな幸せも短く、家族は去りひとりぼっち暗黒生活が始まるのだ。
やっぱりなんかの修業に違いない。

0160
 
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現在「さよなら岡南興業」シリーズまっさかり。
といっても無くなる日が決まっているわけでもないのだけれど
家壁はボロボロ、かなりの所が痛んできていて時間の問題か。
ということで無くなるまで時間をかけて記録をとっている。
この工場は掛け買いの無い、幼少の頃の戦友だからだ。
2018/0726/16:52

こーちゃん家。こりゃ水没だな。彦崎水没02 





彦崎でも標高の低いところは
床上浸水したという。
植松のコーナンは
商魂たくましく。というか「もっていけ泥棒」的なのか
水没したした商品をこの週末9/10(土)からバーゲンで売り出す。
価格は700円。500円。300円。100円均一。
こりゃ持ってけ泥棒だ。
写真はコーナンから寺山のこーちゃん家方向だ。
県道21号線向こうは完全に水没(写真/写真は無断借用)。
まだ上りに車が確認できるので9月3日(土)17時以前か。




噂では灘崎のなかでも彦崎の被害が激しいと言われている。
本来の標高では児島湾干拓地である七区・高崎あたりはスゴイのでは・・と
しかし、意外や意外。倉敷川河上の彦崎が被害大だと。
それは稔橋地点が倉敷川と木見方向から来る郷内川の交流地点。
というか蛇行する倉敷川が稔橋出前、郷内川手前で垂直に
その為彦崎側にかなりの水力が加わる事でしょう。
さらに力関係から入っても郷内川は逆流したのか(写真2)。

そして
彦崎では稔橋側の水門。ここから水が進入してきたという噂も聞く。
そして周辺住宅の標高の低い世帯は床上浸水という。
象徴的な話ではマルナカ彦崎支店の浸水。
小川と県道22号を挟んでかなり近い。

とにかく彦崎の悲劇は
倉敷川と郷内川の合流地点であったこと。
であるのだろうね。
159
2011-09-06 18:44 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
7年前の倉敷川氾濫も現在噂されているバックウォーターだろう。
真備町と比べるとミニチュア版だが、常に豪雨の時には床下浸水が常で
今回も床上浸水まで10センチだったとの噂。彦崎も少し氾濫対策を考えておいた方いいかも。
2018/0726/14:45

14年ぶり上陸。彦崎避難勧告。




9月3日
台風12号
アジア名「タラス」彦崎直撃。
倉敷川氾濫。
彦崎の道路冠水。
彦崎発床下浸水。
台風14年ぶりの上陸。
床下浸水多発。彦崎小学校へ避難。
南区約21万人に避難勧告。
実際に避難は1475人。
以前に決して水没しないであろう
彦崎とかいたが1ヶ月ちょっとで氾濫。浸水
http://hikochu.blog.so-net.ne.jp/2011-06-22

このページに当日アクセス数も47人と
このブログでは異常なアクセス。
そしてその記事で紹介した
肝心の国土交通省が「河川水位情報」は
2011/09/02/12:00より現時点において「閉局」となっており
これでは意味がないではなか?

と、その他地域ののデータを見ると、
しっかり記録されている。どうした?
氾濫当日の0903ならまだしも、
前日の0902の正午から記録が途絶えている。
あ〜見てみたい。

では当日の周辺の降水量を見てみよう、
0902の午後13時頃から本降りが始まり
13-14時が6-7ミリ。15-16時が5.5ミリと
当日の降水量の積算は約2-30ミリ。
0903の午前中は雨も少なく11時頃から本降りになり
12時には今回マックスの24ミリ。
そして夕方6-7時頃まで平均15ミリ前後が降る計算。
0903当日でも玉野は100ミリ前後。
岡山・倉敷市が190前後。
ということ。
山を挟んでの玉野と岡山市内の
降水量の差には驚きだが、

これに彦崎周辺での地域ニュースとツイッターの
コメントを重ねてみよう。
0902
午後1時頃/岡山
「瀬戸内マリンライナー他運休。欠航始まる」
午後11時〜未明頃/玉野
「自主避難始まる」
夜〜03午前/岡山東区、玉島他7
「4100戸停電。10時復旧」
================
0903
午前9時頃/岡山
「JR宇野線、宇高連絡船運休」
午前10時頃/岡山
「旭川ダム・湯葉エアダム放水。河川水位上昇。警戒」
午前10〜11時頃/岡山
「風速が岡山市23.3m玉野市18.8m倉敷17.5m」
午後13-14時頃/植松
「水没。前の畑から泥水溢れる」
午後14時頃/郷内
「郷内の裏山崩れ。避難所開設」
午後14-15時頃/迫川
「倉敷川堤防から水溢れ彦崎の道が冠水。通行止め大渋滞
 床下浸水多発!」
午後17-16時頃/彦崎
「通行規制。避難勧告」
午後17-16時頃/南区山田
「足守川氾濫」
午後17-16時頃/彦崎
「通行規制。避難勧告」
午後19時/植松
「植松交差点通行止め」
午後20-21時頃/妹尾
「避難勧告」

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2011-09-05 15:40
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2018年7月26日現在。岡山では初めての真備町の洪水が話題となっている。
かれこれ7年前も台風による床下浸水が彦崎に被害を及ぼした。
現在、真備町では未だ痛手が癒えていない。
2018/0726/16:40

20180720

元祖高台の明石住宅。



眼下は倉敷川と児島湾干拓の大パノラマ
かなり眺めがいいのでは
と大人になってきづく。
明石団地といえば、
彦崎小学校3-4年の頃
給食を食べ終え午後の授業中に
けたたましいサイレント、半鐘の音。
ふと外を見ると明石の方向から煙が・・・。
そう。真昼の火事だ。

火事の相場は深夜から朝方。
ほとんどの火事は人が寝静まった頃に起きる。
過去3-4回彦崎で遭遇した火事のほとんどが夜中だ。

真昼の火事はこの明石団地の火事と
土曜日の午後demiさん宅の二階から見た
植松のさらに奥の林の火事。この二つだ。
あとはすべて狐崎で起きた火事だ。
以前にもこのブログで書いたが
狐崎ではかなり昔から頻繁に火事が起きていた。
火事を沈めるためにお稲荷さんを作ったほどだ。

話は戻って彦崎最東端にある明石。
正確には明石と川張の間に「境」というのがある。
その明石山北裾を切り開いた
小高い場所にその明石団地がある。
建物は9世帯の平屋。

小高い住宅ではレックタウン彦崎が
出来る3-40年前から建てられたものだ。
住宅と山が隣接していて庭先で
自然に触れることができる。
特に記憶にあるのは明石団地手前にある雑木林だ。
かなり鬱蒼とした林は太陽の光もままならない。
そこにかなり太い蔦が木々に張っていて
その蔦でターザンよろしく木から木へと渡るのだ。
ただ、子供の強敵「ハミ(大きめの蛇)」がいるのだ。
凄く楽しいと凄く怖いが背中合わせだ。
また、この裏山には巨大セージが存在する。
大きいもので2メートル。竹のように節がありその中に自然の水が
皮をむいてそのセロリのような食感を楽しむ。確か塩をつけて食べた覚え。
ただ、時々そのセージの中にやっぱりハミがいたりするのだ。
明石山北裾にはなぜか全てを巨大化するパワーがある。
昔からこの明石山には巨大蜘蛛の伝説がある。
彦崎のミステリーゾーンだ。 
157
 
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ほんとうに不思議な場所だ。
なんとなく彦崎から隔離されたような団地だ。
いまでも健在でどうやら満室の雰囲気。
駅からも商店街からも遠く、決して日当りもよくない。
そして、何たって豪雨の土砂崩れが心配な場所だ。
2018/0720/14:56

彦崎の「チラ見」ポイントの謎。第一明石踏切。







玉野方向から彦崎入りをすると
稲荷山(立石)がチラチラみえる。
彦崎を訪れたなら、
いの一番に訪れたい場所だ。
もともとこの明石前線路・道路は
過去にはなかったもの。
線路から向こう側海だったし
このラインは児島の海岸線だったわけだ。
最近まで隣の川張に抜けるには
天神山の裏山道から明石山を越えなければいけないほどだ。
ということはこの明石前道路・宇野線は埋め立ててか
山を切り崩して作られた前提。

第一明石踏切から見た彦崎方向は
すばらしい直線(メイン写真)。
彦崎駅を出ると磯東踏切あたりから緩やかな曲線を描く。
そして、奥谷踏切を通り
第一明石踏切にわたり直線なのだ。
その直線は第一明石踏切から例の明石岬の出っ張りまで
倉敷川と平行に直線が続き
そして、明石岬を囲むように急激に右に回り込む。
まさに海岸線だ。

意外とこのように宇野線が回り込んでいると
地上からでは実感出来ない。
いい機会なので彦崎の航空写真と
同方向からの比較写真で確認してください。



前回、発見した秋葉山から明石を取った写真(左/レッドライン/1948年)と
稲荷山・立石よりとった写真(右/ブルーライン/1978年)の
写真を参考にしてもらいたい。
撮影している標高差約100メートルの違いはあるものの
かなり明石岬が望める。
そして、かたや第一明石踏切付近からは
稲荷山の大石が見え隠れする。

もしかして、あの立石は人工的に備え付けられたもので
航行するための目標石だったのかもしれない。
玉野方向からきた船はこの最北端の明石岬が見えるアタリから
稲荷山の大石(立石)が見え隠れするに違いない。

そう確信したな。
0156
 
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新旧の写真の位置から明石の突端の変化を比較した記事だ。
人にも歴史があるが、土地のも歴史がある。
今後出てくる記事のなかに削った土地をわざわざ遠くの岡山干拓に
使用した形跡が残っていたりして感激したもの
2018/0720/14:49

土井から明石にいってみよう。その前に奥谷踏切。




オリエント被服。千田鉄工所。
そして藤原機工。
いわゆる屈指の彦崎工業地帯の写真が
ないので返り道に寄りましょう。


ということで一気に「奥谷踏切」!
http://dt6110.web.fc2.com/fumikiri/JR/JR_uno2.html
この道、踏切は個人的には
タカさんロードだ。
現在ある奥谷から札場にかけての農道。
永井ロードができたのが、たしか中学序盤(1973)の頃。
それまでは田んぼのあぜ道を通るか、宇野線を通るか。
この磯からくる線路沿いの道路を通るしかない。
小高い山の中腹にある高本邸を訪れるのには
かなりの長旅だ。

その時に通るのがこの「奥谷踏切」。
角にある平田邸の建物は当時と変わらない姿で
ほぼ昔となんら代わりがない。
ちなみに背後に見える山は竹林で
明石山の麓になり札場から見ても異様にそこだけ黄緑に輝く。
そしてヤブ蚊だ。
ヤブ蚊といえばこの竹林を思い出すのも。
高本邸が出来た際、よくこの竹藪で遊んだ記憶のせいだろう。

白と黒の縞々。異様の長い手足に触手。
気持ち頑丈で堅そう、血を吸う吸引力もそこらにいる蚊とは比べものならない。
当然、ヤブ蚊に噛まれた後はかなり後まで尾を引き大変なおもいをするのが
この竹藪のヤブ蚊。
そんな刺激的な体験をしたい人は是非訪れてみてください。
確か墓地でもあったはずなので、ダブルで夏を楽しめるってわけです。
そんな奥谷入り口のお話。
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初期にとっている写真の解像度が低く、拡大するとかなり荒い。
2009年頃撮影。初めてかったカシオGショック携帯。
設定が甘かったのか。
しかし、これも味があり、なんでも解像度が高ければよいとは限らない。
この写真はまだいいほうだけど。
2018/0720/14:42