20171221

南欧ファーマーズもともに閉鎖。



なださきの名前が
あと7日で地図から消える。


するとあらゆる名称から「灘崎」という名前はトルツメになるのだろうか、
「灘崎中学校」「灘崎小学校」「灘崎にこにこ幼稚園」「灘崎老人憩の家」等。
これは地図から地名が無くなるとはいえ、安易にトルことはできないだろう。
「灘崎町図書館」「灘崎町公民館」「灘崎町福祉センター」「灘崎町総合公園」。
町付きものはどうだろう。「灘崎町」自体がなくなるわけだから、
これは変えざる終えないのではないか。とか。
「灘崎町町民民会館」「灘崎町町民体育センター」「灘崎町町民野球場」。
は町民自体存在しないわけだから、町民とはいかに?
「ウエルポートなださき」「灘崎ライオンズクラブ」「灘崎野球スポーツ少年団」「灘崎FC」「JA岡山灘崎」
など微妙に独り立ちした名前は、時代と共に徐々に変わっていくのだろうか。
「カレーショップCOCO岡山灘崎店」「000灘崎出張所」「000灘崎分室」等なる
地域指定型は完全に即変更だろう。とか。
・・・・・・・・しかし、「なださき」の地名が無くなる一週間前である現在でも、
一向に名称変更の兆しがないのだ。というかインフォメーションが見あたらない。
このままなのだろうか?そのへんどう折り合いをつけていくのだろうか?
といってもそんなに気になっているわけではないけれど・・。

そう無くなると言えば、
おかやまファーマーズ・マーケット「サウスヴィレッジ」だ。
正確には閉鎖ということ。
3月末付けで以後は県施設として閉鎖。
修繕工事を経て岡山市へ譲渡となる。
修繕内容は
・展望塔・ファーマズ会議室・ショップ・味覚の館等園内の屋上防水改修
・ファーマズ会議室・ホール・ショップ・無角の館等園内の空調設備更新
・ショップ・味覚の館の外壁塗換え
・アスファルト部分補修・区画先行
・跳ね橋修繕
・ひょうたんプールサイド舗装修繕等等・・・
要はマンションで言えば10年に一度の大規模修繕ということだ。
年間約1億円の経費の中から修繕積立金は貯めていたのだろうか?
1997年から13年間の施設管理費は平均年間約6700万円。人件費は約2500万円。施設常勤職員は4人。
施設の収入は利用料として年間約1600万円。収支差額県費負担額は年間約7800万円。
2009年から2018年の今後10年間の施設修繕大機の改修工事の費用は
施設内設備修繕で3000万円。雨漏り補修、プ−ルサイド補修で同額の3000万円ということ。
と農政企画課発行の「公の施設見直しシート」に書かれている。


なにかくファーマーズも閉鎖される。わけですね。 

0057
2010-03-15 19:28:21
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
灘崎町が無くなる7日前。
カウントダウンイラストを掲載しました。
書き終えて思うことは灘崎町はやはり青空と大地が似合いますね。
ありがとう灘崎町
2017/1221/18:35

県道22号線、旧県道22号線にグーグルストリートが!

グーグルさん。
お願いきてね
札場まで。

「さよならなださき」を祝うかのように、
待望のグーグルストリートが
灘崎を横断する県道22号線まで到達。
これはかなり嬉しい。
正直こんな岡山の田舎までで来るには
余裕で4-5年かかるのでは、と思ったものです。

国道30号線より七区入り口。県道22号(農道)コース。
と平行して本来の灘崎のメインストリート旧県道22号線を網羅している。
なので森材木店も、サンタニやも、喫茶夢眠(ム〜ミン)も、
喫茶「道」の建物もしっかりと、東京に居ながらにしてツアーが出来る、
これはもう田舎に帰らなくても満腹状態だ。
が、しかし。
そのグーグル・ストリートは現時点ではこの2本のみ、
その本道からの枝分かれはない。
なので三上商店も川上食堂も藤原書店もいまだ見ることができない。
彦崎のメインストリートは裏街道にあり、
田舎だと侮らず、ドンドンと彦崎奥深く入ってきてもらいたいものだ。
コンパンは待っています。たぶん。
しかしグーグルストリートは驚異的なスピードの進出です。

とにもかくにも
「七区入り口」。いってみましょう。
・・・・・・・・



(クリックすれば拡大に)


石油タンクローリーが邪魔だが、
国道30号線を玉野方面から・・・。
見えてきました。赤に白抜き「キング」の看板。
歴史は4-50年。なださきの宴会場ですね。
「パイオニア」が無き今、がんばっとるのですね。
そう。ここが灘崎の玄関口「七区入り口」。
七区はこれと逆の方向だが、
なぜか総じてこのあたりが「七区入り口」。
この方向では道路はTの字に迫川に向かっている。
なので因みに迫川入り口というか西高崎入り口。
県道22号線(農道)の入り口でもある。
キング向にある民家はかなりの年季を感じる。
たぶん、我々が通っていた頃からあるのだろう。

とにかく、グーグルストリートはこのように。
左右前後見ることが出来る。
七区入り口の周辺を行ったり来たりしても、
誰にも変態扱いされることもないのだ。
信号赤でもわたれるし・・・・。
彦崎に、早く来ないかな〜グーグル・ストリート。


さよなら「なださき」まであと11日
0070

0056
2010-03-12 10:39:09
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
きたんですね〜このあとgoooglestreatが
くまなく彦崎の奥底まで練りある手くれました。
そして、goovgleearthにおいては3Dマップが鮮やか。
遠くはなれたあの場所もその場所もいつでも散歩できる。
ありがとうgoogole!!
2017/1224/18:31

灘崎町役場。



1966年は灘崎町にとっては激動の年だ。
これまでの木造舎から
岩本ナオさんのお馴染みの新庁舎になったのがこの年。
町史を繙くと、この年になんと。
例の灘崎小学校プールが完成したのも、
そして給食センターもこの年。
町内各小学校の給食のおばさんシステムも変わろうとした年、
また、七区小学校も独立校となった年でもある。
それが1966年だ。

それ以前の
1949年に町制を実施し、灘崎町と改称
1953年に灘崎町教育委員会発足
1956年には灘崎町50周年を祝い
    常山にマイクロウエーブ開設
    児島湾淡水化の堤防締め切り工事成功
1959年植松の郷内村よりの編入
1960年宇野線の電化完成
1961年宇高国道フェリー就航
1963年七区の干拓が完成

と今では想像できない灘崎イケイケ全盛期を迎え、
1966年のこの年が用意されているわけだ。
・・・・・・・・

・・・・・・
話は戻して
灘崎町役場

子供心に町舎の木造二階建てから、
近代的な鉄筋3階立ての無機質な姿に
正直ガッカリしたものだ。
しかし、40年近く生き抜いた庁舎は
コンクリートの塗装は剥げ落ち、
酸性雨のよる劣化、
建物に無数に入った亀裂に施したエキポシ注入あとが露わになり、
県道22号から入り口のアプローチセンターにある、
モダンな電柱は錆びつく。
ここまでくれば、かなりいい味わいになっている。
岩本ナオさんのイラストではその電柱のそばに
ガラス張りの電話ボックスが描かれている。
そう。あっ!グーグルストリートキタッー!
こんな田舎に!つ・い・に。
うわっすごい!

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でっ彦崎は・・・キテルキテル。
この話は後ほど。

話は戻して灘崎町新庁舎ですね。
そういままであった木造二階建て旧庁舎は
1968年の灘崎公民館に改装。
当分の間旧庁舎は残されることになる。
でもいまない。

さよなら「なださき」まであと12日
0069

0055
2010-03-11 12:25:20

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
このイラストはひどい!
でもな感じ。この茶色の該当ポールが錆びてボロボロ。
今は無くなっているのでなんとでも言える。
というか現在あとかたもない!!
そして、リンクがうまくいかない!!
2017/1221/18:26

つぎに触れた「なださき」とは・・・・。



彦崎の子どもたちの初プールは、
なんといってもお隣の灘崎小学校プールが
デビューということだろう。

蓮の花を逆さにしたようなシャワー、
一度に数カ所から水がほとばしる目洗い。
ちょっと生ぬるい腰まで浸かる塩素の香り。
そして少し剥がれかけの水色の大小のプール。
これが生まれて初めてのプールということ、
そして人生で二回目に「なださき」に
お世話になるということ。

彦崎保育園の時代が初なのか、
小学何年生頃から通ったかは定かでないが
とにかく1971年頃(小5)まで
この灘小プールにバスで通わなくてはいけないのだ。
プールの日は学校の授業もそこそこに終え、
徒歩2-3分の丸髙工業団地広場に待っている
バスに乗り込む為に学校を出発だ。
同級生全員とバスに乗るなんて、
ちょっとした遠足気分でもある。
・・・・・・・・
・・・・・・・・
片道15-20分。そこは灘崎小学校。
給食センターの並びに全天候型のプールがある。
2-3時間の授業をこの時間に充ているので、
ゆっくり泳ぐことができるのだ。

当時の灘崎町にはプールは
この灘崎小学校にプールが唯一。
灘崎中学校の生徒でさえ、このプールを利用する。
現在でも灘崎中学校にプールは無いように見えるが、
どうなのだろう?

とにかく彦崎小学校も七区小学校も
ここ灘崎小学校に集合するのだ。
というか肩身の狭いプール間借り生活が始まるのだ。
どことなくオーナーである灘崎小学生徒に
鼻で笑われているような気さえしたり、
先生でさえ鼻高々な感じさえしてならない。
とにかくオーナーである灘崎小学校の生徒と
彦崎小学校の生徒ではプールに触れる時間の差は歴然で、
夏休みにしても放課後にしても、
さぞ、灘崎小学校生徒は「プール三昧」なことなのだろう。
町庁所在地が近いからといっても、
羨ましすぎる。

給食センターもあることもあり、
灘崎の小学校業界は
ここ灘小を中心に動いていると言っても過言ではない。
放課後の校内放送はエリーゼのために。
彦崎小学校は定番の「遠き山に・・・」の新世界。
差を見せつけるではないか。

とにかく「なださき」に二回目に触れたのが
この灘崎小学校給食センター横プールなのだ。

さよなら「なださき」まであと13日
0068


写真の水色の部分(左)が今でも変わらずプール大小、隣の灘崎中学校(右)には未だにプールの形跡もナシ。 

0054
2010-03-10 16:34:38
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これから数日間はあと数日でなくなってしまう灘崎町
に対するオマージュ。オマージュ詳しくは意味わかrなあいのだけど
なんだかかっこいいオマージュ。
2017/1221/18:12

生まれて最初に触れた「なださき」とは・・・。




山ひとつ
  はるか遠くの
なださきちょう


生まれて物心付いても、
「なださき」という言葉は耳に入らない。
植松に生まれ「彦崎」に3歳で引越、
母の実家の宇野に通う途中でもあるが、
その実態は知らない。
初めて「なださき」にふれたのは、確か。
迫川駅前に出来た「主婦の店」ではないか。

今でもしっかり覚えているのは、
晴れてポカポカな春。活気に満ち満ちた町。
空では確か「主婦の店オープンセール」を告げる、
セスナがチラシをばらまきながら飛んでいる。
空にキラキラと光る大量のチラシを、
ぬかるんだ田圃に足を取られながら追っかけた記憶がある。

そして日曜日。
晴れてまたまたポッカポカ。
彦崎にはまだスーパー「農協」も「OKストアー」も
ましてや「マルナカ」なんてなく。
食品、日用品はもっぱら「三上商店」だ。
エイトマンのジャバラ3食ふりかけが暗い店内に眩しい。
・・・・・・・・・・・・・・
とにかく、スチールの手押しショッピングカートも、
テレビでしか見たことのないレジスター、
商品をまとめてカゴにいれるなんて初めて見る風景。
そんな最先端のスーパーマーケットが
灘崎町・迫川駅前にできたのだ。
その名前が「主婦の店」。
確か迫川駅前正面の道を
駅を背にして右側にそのお店はあったのだろうか。

主婦の店はダイエーと思われがちだが、
元々生協対策として北九州で立ち上げられた名前が
「主婦の店」だということだ。
しかし、ダイエーは1959年に「株式会社主婦の店」とし
1962年をピークに神戸より拡大してゆく、
はたして迫川の主婦の店はどちらかは定かではないが、
とにかく最先端の食品店が「なださき」にできたのだ。
これは見に行かないてはない。
家族で車で迫川駅前までドライブだ。
そこはまるで今まで見たことのない
たぶんこれはアメリカなのだろう、
画期的なオートメンション式八百屋。商店。


それが4-5歳頃に最初にふれた「なださき」ということなのだろう。

0053
2010-03-09 16:39:39
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
俳句なんか冒頭にあったりして
完全にのりのりじゃん!
それもそのはず、高度成長沸き立つ頃。
空には広告セスナ、キドカラー。
テレビCMも活気ずき。
お店もバンバン新規開店。
子供後頃に日差しがポッカポカ時代。
2017/1221/18:09

雨無村役場産業課兼観光係 2 




あと16日、
雨無村は「かつて」の我が故郷。


実は岩本ナオ「雨無村役場産業課兼観光係2巻」が
昨年の秋に出ていました。
そして、今年(2010年)の4月に3巻目が発売されて
完結だそうです。
ついに我が彦崎はついに出てきそうにないです。
残念なことです。

今年度3月22日いっぱいで灘崎町の名前が消えます。
ようするに雨無村も終わり、共に完結すると言うことです。
2巻目は奥迫川の大山桜を町の目玉として
役場と町民で盛り上げようとします。
役場の外観は何度とマンガに出てきて、
かなり正確に描かれていて感動できです。
・・・・・・・・・すでに灘崎町役場というのは存在していない、
暫定「岡山市南区役所」ということだけれど、
今月で灘崎町はなくなるのです。
前にも話しましたが、ウィキペディアで「灘崎」とは、
「灘崎は岡山県岡山市南区にある地区」という説明。
また、「かつての児島郡灘崎町に相当する」と。
「かつて」にかかる言葉は児島郡だと思うが、
この文章だと灘崎町もかかっている。と微妙に憤慨。
「かつて」・・・。
2-3年前からウィキペディアで「灘崎町」はかつて呼ばわり、
しかし、これもあと数十日で「正真正銘のかつて」になる。
1906年4月1日に児島郡灘崎村と
彦崎村の一部が合併して灘崎村の発足。
4年前は「灘崎誕生100周年」だったりなのに、
すでに合併特例区になっていたりで、
将来、灘崎町の名前も無くなるということを知ってか、
100周年を盛り上げるでもなく・・・・・。
2010年3月21日をもって灘崎町合併特例区廃止。
翌日の3月22日をもって灘崎町の表記が外され、
書く住所は
岡山市南区彦崎。
七区は
岡山市南区北七区。

・・・・なんと味気ないことか。
七区なんて「区」がいっぱいあって、
大都会のような気さえする。

0052

2010-03-08 15:50:49
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ブログをやっていると、見ず知らずの人から
「岩本ナオ」は同じ灘崎町ですよね。漫画家の?
とか自分の知らない情報が舞い込んでくる。
これはこのブログをやっていてよかったと実感する一瞬。
おもしろいおもいしろいと人生は。
2017/1224/18:02

油豆。



祖母ヤスは大の豆好き。
そのかいあってバタピー、枝豆、アーモンドにわたって
まめワールドワイドに展開する孫。私。

そういえば祖母のおやつの缶々にいつも入っていた
「油豆(未定)」。
別名「いかり豆(全国)」、「花豆(関東)」、「がん豆、夏豆(九州)」、
または類似品で「むすび豆」。

この中でも十字の切り目がイカリのように見えることから
「いかり豆」の名前が一般的だが、
私はあえて「油豆」のネーミングに惹かれてしまう。
茶色でギトギトまさに「油豆」だ。

空豆を植物油で皮ごと揚げ、
塩をまぶしただけのシンプルなお菓子。
その皮は絶大に固く、慎重に食べないと
歯の隙間に入り込んで大変なことになる。
全体的に油でテカテカし、アブラギッシュ!
たっぷり油染みこんでいる様が売りだ。
「この脂ぎった私を見て!」と胸を張る。そして、いつもなぜだか大量にある。
食べても、食べても無くならない。
袋にパンパンに入っている。
なので、いつからあるのかでさえ、わからないのである。
アブラギッシュでさらに、いつから封が開けられたかわからない
「油豆」。

この「油豆」たるものは果たして旨かったのか?
いや。たぶん。空腹を満たすのが第一の役目であるようだ。

しかし、この21世紀とんとお目にかからない。
それは清涼感ブーム真っ只中の昨今。
油と聞いただけで、邪悪物扱いだ。かわいそうに。
それに逆に空豆を、これだけの量を揚げてしまうなんて、
贅沢だ。
フレッシュなサヤ入り空豆が流通している昨今。
一袋100個ぐらい入って250-300円は
フレッシュサヤ入り3個入X5で同値段だ。
15個と100個。比較にならない。
とおもいきや中国に「五香豆」という
これも皮ごと空豆を油で揚げ、5種類の香辛料で揚げた物
がかなり中国の人々に親しまれている。これは想像を絶するマズさ。
「油豆」もたぶん中国からの渡来物であるに違いない。

なんだか凄く懐かしいので食べたいような気もするが、
たぶん後悔しそうな気もする。

そういえば、類似品に子どもには大酷賛
のグリーンピースでできたフライもありましたね。
思い出しただけで・・・・・。

0051
2010-03-04 16:31:12
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
突然思い出すことってある。
今回は「油豆」。
思い出したときは名前すら出てこない。
あれこれ調べて、あれは「油豆」っていってなか。っと。
しかし、まんまの名前が好感大。
2017/1221/17:57

川のまち「磯」地区。



たしかに危ないのだが、
今ではガードレール「磯」。


小学校低学年の頃よく遊びに訪れた、
磯。尾高精米店裏「若林通り」。
軽自動車も通ることの出来ない細い小道。
それに沿った川は小道より幅を利かせている。
その川沿い道沿いの両脇に民家がギッシリと立ち並んでて、
その一軒にケンカがメッポウ強い先輩がいた。
なので少し気後れ気味の場所でもある。
今はもう無くなっているのだけれども、
このちょっと奥にはみんなで使える
「手押しポンプ式井戸」があったはず。
夏になると、その水目当てによく手押しポンプを押したものだ。
この「押しポンプ」はかなり子どもには難しい。
空気を旨く利用して汲み上げるわけだけど、
これがかなりコツがあって小学生には手に負えない。
ほとんど失敗に終わっていたと記憶。

その「手押しポンプ式井戸」のまわりは
奥様方のかっこうの井戸端会議の場所。
まさに井戸端だ。
昔は近所にはいつもコミュニティの場所というのが
あったような気がする。
子どもが近くで遊んでいても、
自然と大人の目が光っている、
なので、こんな白いガードレールがなくても、
へっちゃらなのだ。と。
ほとんどの凹みには「落ちたことのある」
このおちょこチョイの私が
一度もこの川には落ちたことがない。
というか落ちたらかなり痛そうなのだ。
はっきりいって命がけなのだ。
とにかくこの白いガードレールなんて無かったのだ。
・・・・・・・住んでいる当時はまったく気が付かなかったのだが、
よく見渡すと彦崎は川だらけの町なのだ。
左に行っても、右に行っても川。川。
生まれたときから当たり前のように囲まれている。
下水施設のなかった当時は生活排水は川に流れ
少し汚泥が底に溜まり、あの独特の匂いを醸し出しているのだ。
夏前には形ばかりの「ドブさらえ」も。
子どもの仕事のひとつだ。
とにかくそんな汚れた川なんかに落ちたら大変だ。
痛いし、きちゃないのだ。

でも一度この位置からジョージ君と
倉敷川に下ったことがある。
何が目的であったかは忘れてしまったが、
歩くとドブの黒い泥を巻き上げながら、
これまた何が潜んでいるかわからない
真っ暗な道路下を通り、
板倉美容室からはっちゃん理容室(昔はもっと面白い名前)
のヨコまで行ったところで、限界。
早々と尻尾を巻いて退散した覚えがある。 

0050

2010-03-01 18:24:57

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この以降先のBloggerは画像が大きく載せることができる。
そしてシンプルで見やすい。
しかし、過去の記事に残念ながら画像が耐えられないもんがある。
8年前の携帯カメラの低解像度はここまで汚かったのだ。
2017年の一番安い画像と比べるとかなりの進歩ぶりだ!
2017/1221/17:51