20180223

でた!!ここにきて今年のトップニューかも!



昨夜。家人が焼きそばたべたいと、
私はお好み焼き。


そして彼女が近所の「life」で買ってきたのが
「ひるぜん みそ焼きそば」。でた!
同じ岡山でもよく知らないが、
今年のB級グルメで八戸のせんべえ汁を抜き2位になったアレか。
2食で198円のパッケージを見ると、味噌だれのソースがまずそう。
おそすおそるパッケージの裏のスペックをのぞき込み製造元をみると、
「岡山県岡山市南区彦崎・・・・」彦崎!ここは東京豊島区南大塚のとある部屋。
こんなところで出逢うなんて!
遠いところにわざわざおいでました〜。

えっ!だれ!どこ!株式会社ヒロセ。
ヒロセ・・・。ピンとこない。
それもそのはず1960年生まれで1978年に彦崎を後にしたものは
1979年3月開業のヒロセとはすれ違いなのだ。
ただ、年末に帰り、狐崎を通り天理教を過ぎたあたりで
いつも賑わっている工場がある。
工場の中から湯気が上がり、
数人が麵が積まれたカートを運んでいる。
年末用の年越しそばの追い込みだろう。
そこが「ヒロセ」なのだ。
工場は小規模の町の工場といった感じ、
社員も数名でアルバイトのような若い少年も見受けられる
とても家内工業的雰囲気。
そんな小規模な会社が「ライフ ご当地B級グルメファア〜」といえども
大企業と肩をお並べての出展。

調べるとホームページもあり、
http://www.hirose-foods.co.jp/

今年が話題のピークであろう
「ホルモンうどん」もラインナップも加わっている、
そいいえば、この「ひるぜん味噌うどん」も
ホルモンうどんのニンニクピリ辛ソースのような
焼き肉のタレの味付けだ。
何度も言うが
このホルモンうどんのブームも来年で終焉だろうが、
改めて「岡山」、「彦崎」はホルモン(とんちゃん)文化は
避けて通れないかもしれない。
あ〜あの場所に「とんちゃん屋」復活しないかな〜。
0114 

0106
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今年、彦崎出身の横浜ベイスターズ出身の選手を知りました。
2016年のドラフト8位の選手ですが今日の今日まで知りませんでした。
それと同じ感覚。
こういうことが生きているとたびたびあるのだが
次は何かあるのか、楽しみだ。
2018/0223/17:57

ああ〜札場・丸高団地



話のついでにこの写真が現在の丸髙団地だ。
丸高女子寮、岡南工場(こうば)につづく
札場三大スラム建築のひとつ。1965年当時の札場・丸高団地は全棟入室の活気のあった場所。
この場所には6世帯建ての棟が2棟あり、
センターに約10平方メートル級の広場があった。
午前中は移動魚屋。午後はパンパン菓子屋。メルヘンパン屋等
毎日近所の人が集まり賑わった場所。
私有地ではあるが、いつのまにかフリースペース。
乗り入れることのできないスクールバスが待機してた場所でもある。
丸高横の20X50メートル広場も実質的にはほぼ立ち入り自由。
丸髙工業さんの懐のデカさには今更ながら感心させられます。

札場はほぼ丸髙工業といっていいだろう。
というか彦崎自体は丸髙工業と共にあるといっても過言でない。
大正8年3月に大阪からやってきて昭和3年に現在地に移転。
40台の織機を上記で動かしていた、
ピーク時には200名の工員、246台の織機で織物を精出していた。
製品は大阪鐘紡淀川工場で加工。
0113 

0105
2010-12-09 18:19 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この写真は解像度がわるい
この写真は初代ガラ携帯の画像。
現在はガラ携帯3代目だが解像度は800万画素。
当時はG'z One128万画素。
それがこの写真だ。

岡南の屋根瓦がオレンジ色。ボディがクリームイエローの理由。



「いや。しりません」
というか理由はないのだと思う。たぶん。

全然知られていないが、岡南(コウナン)は
CI的には玉盃桜をトレードマークとして、
イメージを展開している。となると。
コーポレートカラーはおなずから桜色。
いわゆるピンク系ということになるのだろう。
流石にピンク色を採用することはなかったみたいだ。
ピンクは使用しなかったものの。
クリームイローにオレンジ色。というのも当時ではかなり変わっている。
というか現在でもそんな工場(こうば)見たことがない。
ただ、オレンジにイエローは同色でパターン的には間違っていない。
また、隣の丸髙のレンガ色を意識していたのならかなりのものだ。
とにかくこの建物はオレンジとクリームイエローに色分けられるワケだ。

この建物サイドの黄色を最後に塗ったのは1975-6年頃の春。
塗り直したと言った方が正しいが、
たしかかなりの部分を自前で塗ったはずだ。
それも高校総出の素人塗装ではなかったか。
流石に瓦のオレンジは素人には塗ることは出来ないが、
側面のトタンは塗ることが出来るだろうと考えたのだ。
しかし、今思うとかなりの高さにも成り危険なことだ。

作業的には
一度、以前の塗料はハリガネの付いたブラシで取り除き、
クリームイエロー色のペンキを白色を調合しながら塗っていく、
そこは素人。所々はムラになり。
剥がし具合も雑なのでかなりの仕上がりだ。
確か最終的なプロの手は入ったとはいえ、かなり残念な感じだ。
そんなムラムラ塗装も数年経てば何が何だかわかんなくなっている。
所謂「味噌もくそもなくなっている」わけだ。

とにかくもう二度と南仏をイメージするクリームイエローを
塗ることはないだろう。あのときのクリーム色は年々剥がれ
よく見ると建物も少し歪んでいるようにも見える。
とにかく50年が立とうそする木造二階建ての工場(こうば)。
この建物も児島周辺では見かけることは無くなってきた。

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2010-12-06 18:54 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ほんとうにとんでもないことだ。
黄色、オレンジチョイス。
この色を工場に使用する決断はいまの私にも出来ない。
さほど考えた派内だろうが、先代のみのさんは
かなり確信犯的に物事を進めていく、
ようは「かわったこと」が好きなのだ。
それだからといって近所の変わった愉快な親父ってことではなく
近所との付き合いには距離おいて、癇癪持ちだ。
意味がわかんない。
2018/0223/17:43

丸高工業女子寮。裏側もしくは実質表側。 



10月から書き始めた【彦崎余すところ隅から隅まで】。
コンパン横のいわゆる彦崎小学校旧校庭下道路を西に
左手は御影石の塀がズゥーと連なり。
右はコンパンを遠すぎると現在は家が立ったであろう三角田圃。
そしてほぼ40年ほど使われていない丸高の女子寮。
100メートルばかり行くとクロスロードを左。
すると丸高工業のオレンジのレンガの壁にぶつかるわけだ。
それを右に曲がると。丸髙の広場そして先ほどの女子寮の裏に出るワケだ。以前にも書いたが、丸高女子寮の裏側はこちら南側だ。
彦崎小学校がある方が表側、正門。
しかし、実際、便利さ使い易さからいっても断トツに裏側。
こちら南側だろう。

その女子寮は2階立て鉄筋コンクリート。
たぶん全14室。しかし男子寮は半分の7部屋もあっただろうか?
食堂(写真)もあり、かなり女子従業員が優遇されている印象はある。

しかし、約40年前もうだれも住んでいない廃墟なので、
かなり怖い感じいなめない。
ナナメマエの岡南の作業場も使われなくなって15年ぐらいは経つだろうか
かなりの面積の廃墟ゾーンももうこうなったら
ずっとこのまま残して欲しいものだ。
と勝手なことを思ったりする。
四方をフェンスで囲まれ、さらに丁寧に格子鉄線を3重の
まるで監獄のようなこの建物は
昔を思い出す数少ない建物となってきたように思える。
よく見るとサビかかった窓も一部木製の部分ものぞく。
建物に取り付けられた蛍光灯の野外灯も昭和の中期の香りがする。
ストーブのステンレスが意外に綺麗で銀色に輝いている。
流石!ステンレスだ!
とにかく目路がゴム製の窓ガラスは今ではほぼ見かけないだろう。

なんども言うがほぼ当時の時代を思い出す限りない建物。
あと50年頑張れば人も見に集まって来てくれるだろう。
なんつって。
0110 

0103
2010-12-06 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この寮が稼働してたときのことを覚えている彦崎の民も
もう一握りだろう。
でも建物は残る。
ここで働いていた人はもう70歳とか80歳とかだろう。
お元気にしていますか?皆様。
2018/0223/17:35

放課後ラーメン片岡「きさらぎ」 。


片岡。原野文房具店ストリートの線路を渡たり
旧県道22号線の角に「きさらぎ」というラーメン屋があった。
現在の「解脱会 灘崎町支部」のところだろうか。後日聞いた話では、
放課後、同級生数名、先生にここのラーメンをおごって貰っていたらしい。
なかなか気前のいい先生だったのだ。
そんな「きさらぎ」。
ラーメンの他にお好み焼きも出していた記憶ある。

放課後イートは「原野文具店」の
歌舞伎揚げ1枚(たまにカレー味)が経済的に精一杯で、
「きさらぎ」のラーメンはかなり稀なこと。
灘崎中学を通った3年間で片手(5回)あるだろうか?いやないな。
因みに迫川の「大平の豚玉」は両手(10枚)ぐらいだろうか。
とにかく、かなり食べているようでカウントするとさほどでもない。
それはたぶん、土曜日授業の半ドン後という限られた時間でしか訪れないからだろう。
その「きさらぎラーメン」の内容は思い出そうとしても思い出せない。
脳みそのかなり奥の階層か、あまりにもの普通さに記憶の許容範囲を超えてたか。

暖簾をくぐると、その店内は縦長で確か左手は調理場で囲むようにカウンターがあっただろうか?
たぶん、どこにでもあるごく普通の「岡山ラーメン&お好み焼きや」だったのだろう。
それを食べるなら「大平の豚玉」を食べた方がいいな。ないしは、
「原野文具店」の瓶の中に入っている一枚売りの歌舞伎揚げで我慢する。
このぐらいのものだったに違いない。

ただ、この「きさらぎ」とうの昔になくなっている。
残っているのが一度も訪れたことのない「三宅食堂」。
そういえばこのお店昔からあるな〜。
今度いってみるか。

0109 
0102
2010-12-03 14:09
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
すでにこの「三宅食堂」もなくなってしまった2018年。
これで灘崎町の食堂は完全に死滅化。
彦崎は数年前に川上食堂が閉店したためお先に。
2018/0223/17:31

彦崎地区案内図。



この地図をみれば
「消防機庫」「半鐘木」「公民館」「池・用水」
そして部落・番地がわかるスグレモノだ!
googolemapより詳しいこの「彦崎地区案内図」を
囲んでお話をすすめよう。

彦崎には山から下る川が2本。
「庄司場川」と「大谷川(下流に行くと前川)」だ。
この二本が倉敷川に流れ込んでいる、
山の麓には「馬場池」「用木上池」「大谷下池」「大谷東池」があり
その二本の川に流れている。
「用木川池」というのも見あたり、
「川」というからには「用木川」というのもあるのだろう。
天神山下の「川池」はすでにコンクリートで蓋をされて今はない。
秋葉山したの「株の内池」。これはまだあるのだろうか?
googole mapで確認するとやっぱり無くなっている。

そして部落名だ。
東から時計回りに「明石」「磯」「奥谷」「片屋」「中村」「大谷」
「用木」「大久保」「馬場」「札場「西新田」?「狐崎」「駅前」。
これは彦崎の基本なのでしっかり頭にいれておいてくださいね。
「西新田」というのは我々の時にはあったのだろうか?
ここにはないが「土井」というのがこれに該当するのだろうか?
また年末の宿題が増えました。
灘崎の公認の団地は「町営住宅明石団地」と秋葉山下「町営彦崎団地」。
民間では磯の「セキスイ団地」がこの地図には記されている。
小学校、保育園・コミュニティセンターは中心の中村・札場に集中。

消防機庫と半鐘木はほぼセットで
「消防魂」の碑がある馬場・庄司場川を中心に中村に二つめ。以上。
あれ!奥谷と片屋の中間ぐらいに半鐘木なかったけ?
この地図には記されていない。
公民館は今は公文式の駅前。磯。奥谷。片岡。大谷。容疑。大久保。
馬場。もひとつ馬場。狐崎。そして札場と中村の中間。
となんと合計11カ所もあるのだ!スゴイ!!

この彦崎・老人憩いの家よこのこの案内図には
かなり細かな彦崎タウン情報が載っていることは
意外と知られていない。

0108 
0101
2010-12-02 15:47
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「駅前」というのが正式名称か。
しかし、見たまんまじゃないか。
我々は当時から「駅」といったではないか、確か。
「駅のほうからきた」
間違いはないはず。
2018/0223/17:27

彦崎山ランキング。ベスト5。



ここで彦崎の山のおさらいをしましょう。
基本一般常識なのでよく覚えておきましょう。

岡山県内には920余りの山があり、
その内3/4の700の山に「三角点(経度・緯度・標高の基準点)」があり、
我が彦崎にも5カッ所の山に三角点が設置されている。
それでは彦崎の山標高ベスト5!


5位(県内840位)
あ〜遠い昔巨大蜘蛛が大石(どこかしらないが)に存在した
「明石山」。三角地点は片屋、標高131.27メートル。
その蜘蛛が灘崎の名山「常山」まで糸の架け橋をかけたと言われる曰く付き。

http://www.geocities.jp/komaithi/b/dasuka.html

このページによると所在地は灘崎町碑小崎字大平とかいてある。「碑小崎」とは?
打ち間違いか・・それとも正式名称ならかなり興味深い。

4位は!(県内806位)
「稲荷山」
彦崎の象徴である「立石」のある山のこと。
住所は「彦崎字株ノ内」。標高153.58
稲荷の祠がある。

http://www.geocities.jp/komaithi/b/dnadasakiinari.html

当然だが彦崎両サイドにある山は後方の山より80-100メートル差。

3位!!(県内681位)
「タコラ山」!!ヨッ!でました!
かなり名前が魅力的。「タコラ」とはなんだ!?
ここの所在地が彦崎字猫ノ尾。三角点名は権現峠。
京都不綾部市のタコラ田という場所がある。
とにかく215.27メートルで堂々の第3位。

http://www.geocities.jp/komaithi/b/ctukumo.html

実はこのタコラ山以前のブログで彦崎で最も高いと書いたが
それは誤りであったららしい。
彦崎のもっとも奥に位置するタコラ山。
東には常山、北は茶屋町が見える絶景ポイントでもある。

2位!!!(県内648位)
過去に彦崎に輝く一番星。飛行塔(または十字架塔)が設置されていた
彦崎の司令塔。三角点地名はお隣倉敷・林になり、標高232,04メートル。
そして所在地は灘崎町彦崎・・・・・・。あれ、字・・・がない。
とにかくこの山は現在では飛行等は撤去され航空アンテナが立っている。
そして、意外に高い彦崎第二位を獲得。

http://www.geocities.jp/komaithi/b/cgihozan.html



ドロロロロ〜そして第1位!
でました。熊山。堂々の県内631位(700位中)!!
あの牛追いをしていたので有名な彦崎の背中「熊山」。
しかしココ熊山なの資料がないのだ。
ただ標高は240メートル。


まとめ。
彦崎の山は県内700位中648位が最高位である。
所在地には大平。株ノ内。猫ノ尾。
という田畑、山林の小名、字が宛がわれている。
ということは彦崎の山はまだ数多くの小字名が存在している可能性。

0107 

0100
 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
100投稿目!
本来のナンバーは0107。この番号もかなり怪しい。
原文通りに載せているのだけど、
過去の投稿では114っていうのあったな。
その適当さがいいではないか。

この彦崎山々を総括。
このあと解明される矢間も登場。
2018/0223/17:14

彦崎貝塚から出た骨は縄文時代の熱帯・亜熱帯ナマズ。




「ヨッでました!貝塚ネタ久しぶり!!」

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/115627/103471/74516282

この11月10日に
「2003年に約3000〜6000年前の地層より発掘された骨は
本来、熱帯・亜熱帯に生息するナマズ目の「トウカイハマギギ」だったと
岡山市教育委員より発表された。それも50匹と言われている。
全長は60〜70センチ、巨大なものだと1メートル越えるという
この生物は現在、台湾より南に生息する生物。
熱帯・亜熱帯の脊椎動物の骨が発見されたのは
国内では初めてのこと。らしい。

この報道を受けてやっぱりかという感想。
それは彦崎には見た目南方系の人が多いこと。
温暖化もあったのだろうが、
これはハマギギといっしょに舟に
乗って来たに違いない。
過去に彦崎貝塚から出土したものの中に
九州系遺物が多く混在していて、
彦崎←→九州の交流が伝え聞いているしね。


とにかく6000年前仕様「イネのプラントパール」以来のスクープだ!!


0099

2010-11-18 16:01 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
たまにはまじめなネタも。
いつものことだけど
こんな大発見なのに後日談がない。
悲しい悲しい。
2018/0223/17:08