20171221

生まれて最初に触れた「なださき」とは・・・。




山ひとつ
  はるか遠くの
なださきちょう


生まれて物心付いても、
「なださき」という言葉は耳に入らない。
植松に生まれ「彦崎」に3歳で引越、
母の実家の宇野に通う途中でもあるが、
その実態は知らない。
初めて「なださき」にふれたのは、確か。
迫川駅前に出来た「主婦の店」ではないか。

今でもしっかり覚えているのは、
晴れてポカポカな春。活気に満ち満ちた町。
空では確か「主婦の店オープンセール」を告げる、
セスナがチラシをばらまきながら飛んでいる。
空にキラキラと光る大量のチラシを、
ぬかるんだ田圃に足を取られながら追っかけた記憶がある。

そして日曜日。
晴れてまたまたポッカポカ。
彦崎にはまだスーパー「農協」も「OKストアー」も
ましてや「マルナカ」なんてなく。
食品、日用品はもっぱら「三上商店」だ。
エイトマンのジャバラ3食ふりかけが暗い店内に眩しい。
・・・・・・・・・・・・・・
とにかく、スチールの手押しショッピングカートも、
テレビでしか見たことのないレジスター、
商品をまとめてカゴにいれるなんて初めて見る風景。
そんな最先端のスーパーマーケットが
灘崎町・迫川駅前にできたのだ。
その名前が「主婦の店」。
確か迫川駅前正面の道を
駅を背にして右側にそのお店はあったのだろうか。

主婦の店はダイエーと思われがちだが、
元々生協対策として北九州で立ち上げられた名前が
「主婦の店」だということだ。
しかし、ダイエーは1959年に「株式会社主婦の店」とし
1962年をピークに神戸より拡大してゆく、
はたして迫川の主婦の店はどちらかは定かではないが、
とにかく最先端の食品店が「なださき」にできたのだ。
これは見に行かないてはない。
家族で車で迫川駅前までドライブだ。
そこはまるで今まで見たことのない
たぶんこれはアメリカなのだろう、
画期的なオートメンション式八百屋。商店。


それが4-5歳頃に最初にふれた「なださき」ということなのだろう。

0053
2010-03-09 16:39:39
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
俳句なんか冒頭にあったりして
完全にのりのりじゃん!
それもそのはず、高度成長沸き立つ頃。
空には広告セスナ、キドカラー。
テレビCMも活気ずき。
お店もバンバン新規開店。
子供後頃に日差しがポッカポカ時代。
2017/1221/18:09

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