20180223

旧彦崎小学校焼却炉下と鉄板朝礼台。



当時。ここに一軒家があったはずだ。
近所だけど誰が住んでいるのかわからない場所。
あとは畑があるだけだ。と言っても。
この写真とさほど変わらない。
変わったと言えば例の一軒家がなくなったくらいかもしれない。
岡南のぼろい工場(こうば)も40年近くほっぽらかしの女子寮も。
むかしのまんまだ。
そうこの左手には例の彦崎小学校の75°急斜面in石垣があり
角に焼却炉がある。
そいえば東京に焼却炉がない。
当時、彦崎では学校でも自宅でもゴミは
各世帯の裁量に任せられていた。
燃えるゴミは焼却炉で燃やし、
燃えない生ゴミは土の中に埋めるのだ。
瓶は回収され、缶は当時はさほどない。
そんな時代だ。

そして学校での当時の燃えるゴミは
このグランドスミの焼却炉で焼くことになる、
たぶんその日の日直が一日のゴミをこの焼却炉に
運搬、投入しなければいけない。
あっ思い出した。体育倉庫の大豆。
そういえばここで燃やしたのではないか。
なにか激しく燃やしてかなり先生に叱られた記憶がある。
なにを燃やした?かなり音のでるもの?
スプレー?いやいやさすがに。
とにかく当時彦崎小学校でもっとも人里離れた場所。
そして炎。これは利用しない手はないはずだ。

ちなみに周辺、旧彦崎小学校の遊具をおさらいして見よう、たしか
南側体育倉庫隣にすべり台。そしてウンテイがあったか?
角の焼却炉があって西側は、縦に長い鉄棒。ブランコがあって砂場と大きな鉄棒。
裏入り口があって南側に丸太のシーソー、タイヤもあったか?
そして講堂に沿って鉄棒がずらりだ。
朝礼台は鉄板を溶接してできたものだ、
たしか銀色?
すべり台を背にして南向きだ。
ということは校長先生は南向きで、
生徒一同は北に向くわけだ。

夏秋の天文観測では
ヘルメットのような星座表片手に、
どっぷりと日の暮れた真っ暗な校庭に
当日の担当二人が星の見張り番をするわけだ。
そして、この朝礼台に仰向けになり星を見張るわけだ。
なぜだかかなり遅くまで観測しなければいけない約束だが、
二人は寝静まる校庭におののき、1-2時間で撤退。
夕方ごろは二人とも、かなり威勢のいいことを言っていたのだが、
ひとりへり、ふたりへる校庭というのはかなり寂しいものだ。
考えてみるとこの石垣のお陰で少し高台で、
周りには高い建物もないこの校庭から見えるモノは
遠くは三方の山のシルエットと漆黒の空と星。
水島コンビナートが活気を増すと共にに明るくなり、
蜂峰山と稲荷山の凹みあたりに明るくなる時代までは
彦崎中は真っ暗だったのだ。
星もかなり見えていたものだ。
0113

0089
2010-09-14 15:04 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
現在旧彦崎小学校下を探索中。
といっても8年前の話。
2018年現在も、いまだ健在。
できれば後ろの黄色の工場と共に国宝に指定だ!
2018/0223/16:02

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