20180223

出来たのが1967年11月(写真)だ。コンクリートに刻まれる。



1967年といえば、
小学校1年の頃だろうか。
なので、すでに物心ついたら
このトンネルは出来ていたのだ。

宇野線で来ると茶屋町から彦崎までは
藤戸の「大浜踏切」を越えると、
一本も踏切はない。
次に来る踏切は彦崎駅を越えた
札場の「船入踏切」だ。

当時の周辺の環境が分からないので、
何とも言えないが満を持して
この駅前←→狐崎間のトンネルを作ったのであろう。


稔橋から入ってくる道路の突き当たりがココであるわけだ。
昔はどうみても重要な通りではなかったのか?
児島市への交通の要であった味野駅と呼ばれていた頃には
この辺りは踏切でかなり栄えていたのでないか?
とくにひょうたん陸橋が出来る前は、なおのことでなかっただろうか。
特に稔橋から来た道路は突き当たりになり、かなり不自然だ。
ハブステーションを嫌って茶屋町が手を挙げ、
児島へのアクセスは茶屋町経由へ。

好機を逃した彦崎の不自然な感じが、
このあたりの地理ににじみ出ているのではないか?

当時、狐崎側でかなり大きな火事があった。
この狐崎ではあまりにも火事が多いので、
遠い昔、稲荷神社を祭ったのだ。
稲荷神社が先か?狐が先かは分からないのだが、
とにかく火事が多いのだ。
偶然とはいえ不思議な話である。

このトンネルの手前にある渡辺医院の前は
以前はスーパーマーケットであり、
その以前は高取薬局つながりの長屋でした。
木造の炭板の長屋。
屋根も黒いので真っ黒の長屋だった。
あと対面に三備モータースがあったぐらいか。
高校二年の時に白のヤマハパッソルをかったっけ。

かたや狐崎。
狐崎交差点の馬場山側の
井口食料品店は昔からありましたね。
植松の実家に行くときは必ずのぞいていましたね。
しかし、対面の「永井商店」がわからないのだ。

とにかくこの1967年11月に
トンネルができたということだ。

0092

2010-09-30

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1967年というと。
よく札場から歩いて植松のばあさんところに
泊まりにいっていたもの。
なんでそんなことになっていたんだろう
家庭の事情か
2018/0223/16:27

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