20180117

児島郡灘崎町大字奥迫川。




なんてこったい
ああ〜奥迫川。


憧れの地「奥迫川」。
灘崎じゅうが熱い視線を贈る永住の地。
せめても親戚とかいればいいのに・・・・。
年をとったら奥迫川が・・みんなの合い言葉かどうかしらないが、
「奥迫川」と聞けばテンションがあがる。なぜか。
たぶんそれは人里はなれた、
隔離された21世紀のいまでも、
昔の灘崎の生活が残されている場所。
だからかもしれない。

大山桜のお膝もと。
そういえば親しい友達もいなかったので、
馴染みも薄い。
彦崎と似ているところは、
山に阻まれてファーマーズの視線から外れているところ、
山の頂上に登らなければファーマーズを視野に入れることは出来ない。
迫川から見ると灘崎屈指の大きな溜め池が目にはいることだろう。
迫川大池。と出羽殿池。
まさか、その背後に村があるとは、だれも想像しないことだろう。
私も灘崎在住の頃ほとんど知らなかったのだから・・・

熊野神社、東禅寺もあれば公会堂もあり集会場もある。
記録によれば1200年に
村は出来たであろうとされている。
常山城との縁も深く、
児島の山で修業をした
児島高徳の名前も見え隠れする。
マップを見ると
町営住宅奥迫川団地なんてのも存在、
いまでもあるのだろうか?
奥迫川の地形は山に囲まれた谷。
まるで七人の侍に出てきそうな村だ。
棚田もあり民家の裏は山が続く。
その山の中腹にあの巨木「大山桜」が腰を据えている。
山の奥にさらに道路は続く、それもそのはずその道をたどると
児島屈指の厄よけの総本山「由加山」に通じている。
歴史は2000余年続き、巨岩をご神体として崇める
日本三大大権現のひとつだ。
そういえば児島は王子ヶ岳を初め巨岩が存在。
彦崎にもあります。

ということで奥迫川は
由加山を訪れるための参道でもある。
ってことも最近知りました。


さよならなださき。
すでになし。

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2010-03-23 14:57
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
おきづいのように。
各場所から常にファーマーズの南欧の白い塔がみえているのです。
昔はこんなものはあるはずもなく
間抜けな感じがすてきなのでイラストにしました。
2018/0118/13:42

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