20180124

フルーツパラダイス彦崎駅裏道通り(または丸髙通り)




1977年の写真。
たしか初夏といったところ。

イチジクの木はちょうど小池電気の
黄色の看板向こうに見える木ではなかったか?
私の記憶ではそこにありました。
そしてそのもっと丸髙よりに「クルミの木」が数本。
因みに我が家畑は小池電気側。丁度写真の下あたり。
ここに梅の木と桜の木、ナツメの木がありましたね。
梅と桜は生まれたときからあり、
シーズンには実をつけ袋をかけるのだけれど
いつも虫に食われて一度も口に入れたことはない。
親父の面倒見の無さを恨んだもんです。
それに引き換え中学校のころ植えたナツメの木は
毎年沢山の実をつけたものです。
そのまま食べられるナツメの実は
例えばリンゴのような食感で味も少しにている。
イラガが多いのは玉に瑕だが、
食べられるものが庭にあるのは楽しい思い出です。
でも、今はなにもないなんて。

彦崎駅のこのあたりは今では整地され、
公園のようなものになっているけど、
昔はこんなに生い茂っていたのだ。
木製の倒れかけた進入禁止のフェンスも
いまでは懐かしい。
当時彦崎駅裏側には正式な出口が無かったので
この緑生い茂るなかにいつのまにか獣道ができ
自然とホームに続いている。
人間とはなんと恐ろしい物か
誰がつけたかホームに上がる木の簡易階段なるものも
あったように記憶する。
通学の折は常に上り電車と並走し、
電車の運転手に乗車意欲をアピールしなければ行けない。
それも入っていけない入り口から平気で搭乗。
だって近いんだも〜ん。

また、
よく見ると国鉄の土地でもあるにもかかわらず、
作物を植え畑にしている大らかさもいい。
いまでも大空ストアー側には
畑があったような気がする。
諸々考えると、
彦崎駅周辺の土地は暗黙うちに
自由区域なのだろう。
と言うか共存共栄。
たぶん。

そして、
遠くを見ると馬場桜土手方向も
まだ田圃で家は見あたらない。
彦崎通運の木造倉庫も縮小したといえども、
辛うじて残っている。
遠くの「麻生セメント」は存在しているが、
「灘崎セメント」はまだ存在していないのか?
一枚の写真から数多くの発見があるが、
これはまたのお楽しみに。
とっておきましょう。

0078
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今年(2017年末)帰省したおり、
この沿線畑が一切なくなって、ファンスが張り巡らされていた。
昔をしっているものは、なんだが世知辛い世の中になったものだと。
昔はこんなに緑往々しい。
2018/0124/17:50

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