20180117

児島郡灘崎町大字川張。




彦崎と川張の
団地ラッシュ。


彦崎でもっとも親近感がわくのが、
この川張。
灘崎中学登校下校は
常にここを通らなければいけないし
もっとも彦崎に近い「なださき」だ。

あれは川張駅ではないのか?の駅は
力関係で備前片岡駅。に軍配。
なんたって片岡はなださきの中心
町庁所在地で各種施設が密集している
灘崎の霞ヶ関を笠に着たのか
どうなのか駅名は「備前片岡」。
これには川張の人々もガッカリだろう。

1973-6年にかけて備前片岡駅南側に
「川張団地」が出来、近隣から人々が集まった。
我々の中学2-3年時に玉野よりの大量の転校生が印象的。
まだまだ七区入り口の紅陽台は出来ておらず、
この「川張団地」が灘崎の大型ベットタウン計画の初期型象徴的団地ではないか。
川張団地は正確には「灘崎団地」1976年造成完了。97戸116世帯。
開発事業者は岡山県住宅生活協同組合が管轄だ。
ちなみに
1974-1976年の2年間は灘崎では分譲団地計画が白熱している。
1974年6月に完了の彦崎「セキスイファミリータウン」。33戸/江口建設。
たぶん馬場桜土手,秋葉山下の分譲団地を皮切りに、
1974年6月植松「灘崎ハイツ」220戸/小林住宅産業。
1974年8月彦崎「彦崎団地」54戸/三晃住宅産業
1974年10月片岡「灘崎ハイランド」72戸/西松建設
1976年8月西高崎「みどりが丘団地」201戸/大木建設
そして1982年1月に紅陽台「備前グリーンタウン」203戸/丸紅が出来上がり、
この1974-1980年の間に約800世帯が増えたことになり、
なださきはこの時代にかなりの人口を稼いだ。
そんな川張。片岡の変わり具合を横目に、
いまでも昔の風情が残る川張。
特に旧県道沿い「高取自転車」あたりから
彦崎を自転車でサイクリングすることをお薦めする。
もちろん、白いヘルメットをかぶって、
危険だからね。

さよならなださきまで
あと4日。

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イラストは川張「高取自転車」なめのファーマーズ。 
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1974年。我々の灘崎中学2年の当時。
灘崎町大人口大移動計画があったことが
これを見るとわかる。
当時の我々も2年に進級すると近隣からの転校生にわくわくしたものだ。
2018/0117/13:26

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