20180117

そういえば倉敷川の話。意外と話さない事実。




稔橋に気を取られていて、
倉敷川の話以外としていない。

元を正せば倉敷美観地区から流れている二級河川。
なので県管轄。
1959年の児島湾が締め切られるまでは、
主に運搬用河川として活躍。
なので実質的な倉敷川の大活躍は見たことがない。
倉敷川沿いにある倉庫群の中身も何が入っているのかさっぱりだ。
彦崎港というのも、かつて有りそれらしきモノが辛うじて
倉庫群沿いに存在する。


たしかに倉敷川沿いで遊んだ記憶がない。
たぶんかなり危険地域であることを子供心に察知していたのか?
対岸の藤田村もほとんど行かず、なぜに北側に興味が湧かなかったのだろうか?
これは当時から始まっていた水質汚染のせいもあるのだろうか。
源流をもたない倉敷川の水質は悪化し、
我が稔橋付近のCOD(化学的酸素要求量)は6.4mg/L 
BOD(生物的酸素要求量)は2.7mg/L
水質指標の代表的COD6.4mg/Lとはどれぐらいの基準なのだろう。
下灘橋がどこかわかんないがその付近で4.5。河口部で8.8。
BODはかなり改善されて2.7mg/L。
魚が住める水質はBODでは5mg/以下なので
稔橋付近はクリアーしているわけだ。

とにかく、綺麗な倉敷川を見ることができるなんて
夢の又夢。なのか。

この川をドンドン登っての結末は、
倉敷市美観地区のど真ん中。大原美術館前が終点だ。
そんなところから水が湧き出ているわけもなく、
完全に物資運搬用人口川なのだ。
向山沿いをとおり、山陽ハイツをぬけて、
山陽ハイツ!懐かしい。
高速下をとおり、藤戸饅頭屋の裏、
天城をぬけグルッと大きく迂回して稔橋に到達するわけだ。
うちの祖父もこの川を利用したらしい。
植松から仲間を乗せ船を出し、
茶屋町の桜土手まで行き、船の上で宴会をしたらしい。
1959年児島湾締め切られるまでは
かなりの船が行き交っていたのだ。

とにかく、現在の倉敷川には
外来種の宝庫になっているらしい。

0074
2010-05-25 15:44 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
数本前からつかみが小見出し二行から始まっている。
現在ではすでに忘れてしまっている。
イチローがMLBで引退かと思いきや日本復帰を仄めかし
野球人生に終えようしている。
焦るんだよね。そんなことしてもらちゃ=。
そんなことで量産体制に入っている昨今のひこブログに喝!ですね。
2018/0117/18:59

0 件のコメント: