20171208

ひこちゅうのとなり




「うえ〜し」。
この校庭をみるとそう叫んでしまいます。他野球部の先輩では「でぁえ〜(秋葉or星島先輩)」、「ほわいぇ〜(桑田先輩)」という野球練習中に掛け声を出すのですね。基本は「お〜え〜」ですが、これは各自個性の見せ所ですね。あれは何のため?考えても未だにわかりません。しかし、練習の一番難関はウオ〜ミングアップのトラック数周の全員ランニング、一つに固まって全速力で走るのだけれど、これがかなりヘコタレル。ウォーミングアップなのに、すでにマックスハイパー、この時も例の掛け声を掛ける「いくで〜(みたいなこと言って)。オエッ!」とリーダーが言うと全員で「オエッ!オエッ!オエッ!」と連呼するのだ、それも全速力で、「君らはなんなんだ」と問いたい。ということで灘崎中学校校舎ですね。まるで戦後間もない頃の景色のようでもあるが、しっかりと1970年代はこの木造の校舎・・・・・
 我らが卒業する2-3年後にプレハブ生活を経て鉄筋校舎に生まれ変わる。この木造新校舎ができたのが1952年7月12日。当時の町の財政規模は1,470万円。この校舎総事業費は1,100万円。昭和25年から3年間とはいえ1年間町予算の8割をこの「灘崎中学新校舎事業」に注ぎ込む。「町と致しましては400万円の借入金をなし、町費及び国庫補助1,000万円の巨額を投じたのでありまして今後とも数年間により、24ヶ月の長きにわたって入金償還を致すわけでありまして・・・」と当時の町長・若林伯之のお話。ようするに「あ〜大変無理したね」と言うこと。そんなこんなで30年弱がんばったこの校舎。左2階建ての一階が一年生。二階が二年生ということになる。三年はこの校舎裏の薄暗い校舎となる。左(白い部分)の学生通用口の床はコンクリート時期で、真冬に地べたに座らせるとかなり染みる冷たさだ。右の白い二階建て建物が職員室、放送室となる。この当時の放送室は手前の一階、給食時間にかけたグランドファンクの「アメリカンバンド」はここから流れた。わけだ。0006
2009-09-18 15:06:06記
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改めて読み返しているのだけど
知らない人はほんとうに理解に苦しむ
身勝手きまわりない文章だ。
2017/1208/13:42記

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