20171221

「田邊九州出身説」の真実。




自分はどこからきたのだろう、
遠い昔のその昔。


これは誰しもが抱く、
ごく自然な疑問ではないか?
「赤ちゃんはどこから来るの?」
に等しいぐらいのランクインだ。


ほぼ10年前に突然湧いて出た
「田邊九州出身説」。

なぜ、九州?
そういえば、目は二重で
かなり濃い顔をしている。
酒もそこそこ強い。
そして、気も短い。
南の島へ行くと、
よくサモア系と間違われる。
・・・と頷けること数あり。

でも、どうして遠い九州からわざわざ、
この植松くんだりまで
来ることになったのだろう?

思い浮かぶのは古くは室町末期から始まった、
全国的事業の「干拓」。
それにまつわる人足。
九州の貧しい農家に生まれた次男は、
家族の食い扶持を稼ぐのに、
「児島湾干拓で一山当てたる」の
噂を聞きつけての出稼ぎ。
舟に揺られて着いたのは児島(味野)。
しかし、そこはただ広いだけの遠浅の海。
干拓の埋め立て作業をする毎日。
埋めども、埋めどもひたすらに続く遠浅の海。
思うようにお金も貯まらず。
故郷の家族の記憶も薄れがち、
しかし、鰻はうまいし。穴子、シャコも
ハゼも平貝も鮒うまい。魚群は濃い・・・・
・・みたいなことを想像して病まない。
果たして「田邊はなぜ九州から?」

これは是非、
ネタもとである植松の叔父に
話を聞かねば、と
昨年出会ったのんさん姉妹の影響か、
即、活動開始。
博学の伯父さんの事だから、
かなり信憑性が高い。
帰省の際、
アポナシで訪れた植松伯父さん宅。
10-15年ぶりだ。

「荒神様で役があるんよ、
 わりーけど20分ぐらいしかないんよ
 いたぼー」と開口一番。

そう伯父さんは三男なのに、
みんなの故郷である植松の世話をし、
守ってくれているのだ。

とにかく「田邊が九州からなぜ?」
の質問をぶつける。
すると、伯父さんの表情は
期待とは裏腹に困惑気味、
まさか、凄くいけない質問
だったのでは、と後悔。
「あのな〜」から伯父さんは
穏やかに話し始める。

その内容とは伯父さんが大昔に、
仕事で九州から来た人が挨拶がてらに
「田邊っていうのは九州に多いんよ〜」
と言う話を兄にしたところ、
兄の拡大解釈で、
「田邊はどうやら九州が出らしい」
という伝言ゲームなような事になったのだ。
これは誠に!
「伯父さんのことだから、
 かなり調べたのだろう」
という思いこみも拍車をかけたみたいだ。

とにかく
「田邊九州出身説」。
ただのガセネタ。と化したわけだ。

が、しかしまだ諦めてはいない。
この顔の濃さの南方風はまだ解決していない。
と言いながら鏡を見ると骨格は、
お袋さんの晴さんにそっくりな事に気付く、
ということは、
サモア説は宇野出身のお袋の方か。
そういえば、晴さんの5-6名の姉妹は
皆大型で、明るくておおらか。
まさにムームーを着て海辺が似合いそうだ。
骨格も井上陽水ばりにガッシリ。
今年は母方を調べてみますか。


写真は稲荷山・植松側墓地田邊家本家霊標/祖祖夫・熊次郎(84没)、祖祖母・古末(80没総社出身)

0042
2010-01-28 16:28:05

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
田辺ファミリーヒストリー。
だれでも祖先はどこで、なにをして
どんなひとだったんだろう。と興味津々のはず。
DNAは母方から受け継がれるが
そうも性格は父方。なのでDNA以外の遺伝はあるのだろうなぁ〜
と考えるいまごろ。
2017/1221/16:19


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