20171208

彦崎ー植松間まっぷたつ。



彦崎跨線橋。なつかしい響きだ。というのも1967年(昭和42年)竣工。ということは我々が保育園から小学校の上がる頃に完成だ。県道22号倉敷線と宇野線が通り、それを岡山市方向から県道21号線児島線がクロスしている。1960年代に入り水島工業地帯の岡山市よりの主要道路にともない交通量激化、それを避けるために出来たのであろう彦崎跨線橋。ということは以前は宇野線とクロスするところは踏切?記憶にない。それとも小さい橋でもかかっていたのか?これもまた機会があれば誰かに聞いてみよう。とにかく今ままで見たことない大きな跨線橋が彦崎にやってくるのだ。当時、テレビでは戦後高度成長を象徴する三半規管のような東名高速インターチェンジの空撮が連日となく放送されていたのを記憶する。その高速インターチェンジのようなものが、ここ彦崎にもやってくる!ヤァーヤァーヤァー!!大がかりな工事を見ながら、当時の子どもは胸を膨らませる。が、その期待は大いに裏切られる事になる。整備されたことにより高速化に拍車がかかり、大型トラックが高速で押し寄せ、誰が落としたのか外来種の「セタカアワダチソウ」が道路沿いを占拠しその花粉と車が上げる砂埃で植松は黄砂状態。危険と公害のこの上ない道路と変身する。あんなに楽しく、ほのぼのとした彦崎ー植松間は交通戦争(ふる〜)の真っ只中に立たされるわけだ。その完成した彦崎跨線橋も宇野側に申し訳程度に歩道があるが、そんなのはトンデモ怖くて利用することは出来ません。歩道橋の下は薄暗く、巨大コンクリートのおばけに見える。植松側には植松なのに彦崎初のホテル「ホテル彦崎」。稔橋側には下電の「彦崎跨線橋」バス停留所。とにかく跨線橋に飾られた「ひょうたんの置物」のひょうきんな姿とは裏腹に、そんな歴史がその「彦崎跨線橋」には刻み込まれているのだ。また、正式名称が「狐崎跨線橋」らしきことを最近知る。
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2009-11-06 15:37:39

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後にも先にも写真とイラストの合成。
なんでそうしようと思ったのか記憶にござらん。
跨線橋という言葉もさることながら
やはり「ひょうたん」がトレードマークの彦崎。
これはかなり大人になってから知りました。
そのときの驚きたるや。
2017/1208/17:05

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