20171221

彦崎屋号事情。



「かどや」「寿屋」「駒屋」「わたや」
「ひぜんや」・・・・。
彦崎には数多くの屋号が存在していた。

そして、伯父さんに聞きました。
私たちは何屋か?と。
すると少し言いずらそうに、
「メッキ屋」。と。

メッメッッッキー!なんとハイカラな。
よく聞いてみると私の祖父は昔メッキ職人だったそうです。
祖父は若くして戦死したわけだけど、
仕事は自転車屋ではなかったのか。
商売用の自転車が盗まれ山の池に投げ込まれていた話を
よく聴いたものだ。
どうも自転車屋の前がメッキ屋だったのでしょう。

さてメッキ屋
どうやら自宅にメッキ専用の井戸があったり、
薬品があったりしたらしい。
かなり危険きまわりない商売をしたものです。
しかし「メッキ屋」とは屋号でなく。
職業ですね。よく考えると。
・・・・・・・・・。家紋を作るならメッキ屋はどのように
なるのだろうか?
私の頭に浮かばない。

メッキは600年ごろ中国からやって来たらしい。
奈良の大仏がその代表的なもの。
とにかく我が家の屋号は、
メッキ屋と決定!

そのメッキ屋の嫁ヤスは、
たいそう鰻を捌くのがうまかったそうだ。
どこからか買ってきた鰻を籠に入れ、
まな板に載せ、トンッ!と千枚通しのようなもので顔を固定し、
暴れる鰻をひとさわりすると、
あら不思議、一発で静かになる芸を持っていたと聞きました。
あれあれ田辺家、いやメッキ屋に
このような器用な人がいたなんて、
というか、生前にはそんなの見たことがないし、
そんな職人さんみたいなこと出来るなんて・・・。

当時はちょっとがんばれば、
児島の鰻も手に入ったのでしょうね。
今では信じられない。

そういえば
焼津の黒に、備前・児島のアオ。
と言われるぐらい高級天然鰻として
全国的にかなり有名で、
そして、かなり高級らしい。

ほんとうに児島湾は魚群の
濃いところだったのね。


場所柄金ボタンなんかもメッキしてたんじゃないかと、「メ」と「釦」を家紋化してみた。バッテンにみえるのもよし。

0048
2010-02-22 19:18:47
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
我が家の屋号が「メッキ屋」とは
意外や意外。それも祖先が生業としている百姓らしくないからだ。
なのでそも家紋を作成してみたが
のちのちNG画像に使われるという現代にもマッチしたもの
2017/1221/17:18

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