20171208

ひこちゅうの三大おばさんのおはなしその弐「学研のおばさん」




「学研のおばさん」も彦崎には存在しなかったのでは。
おじさんではなかったか?
それも藤原の?そんなことはないか。

とにかく我々の世代はある時を境に
「科学と学習」の販売方法が変わった記憶がある。
それは1972年。
公正取引委員会の勧告で学校での販売を中止。
という記録がある。
ただ1972年は我々は小学校六年生、
そろそろ「科学と学習」ともお別れだ。

そんなことを察知したがどうか彦崎小学校では
1970-1年頃からたしか校舎外で販売するように
なったと記憶する。

なぜか皆は「科学と学習」という。
正式には「00年生の科学」「00年生の学習」だ。

1946年に学習研究社より
創刊1979年には670万部(月販/1979年頃)というマンモス雑誌。
この「科学と学習」話がでると話題になるのが
「科学派」「学習派」ということ、
これは当時200円前後という価格帯とはいえ
1ヵ月に二冊買うというゴージャスなことは許されなかったのだ。
以前にも書きましたが、
個人的な苦い思い出は最初の選択を「学習」にしたこと、
確か勉強もするつもりもないのに。
子どもながら現実的なのは「学習」だろう。というのが選択の理由。
そんな選択が間違いであったことは2-3ヶ月とかからず
ものの1-2ヶ月で付録の楽しさの違いに愕然とするのだ。
「000年生の科学」に変更したい!
しかしハイ来月から科学ね。とはいかない。
たしか半年いや一年間指を咥えて
友達の「00年の科学」をチラミしなければいけないわけだ。

毎月、
「ただのカードのようなもの」
「ただの水時計のようなもの」
「他にはつかいようのないただひたすら曲線もようを描く、回転デザインマシン」・・・・・・・・・「ただの地図立体もけい」。
なものでため息をついている頃、

隣では、
「世界の電波が入るゲルマラジオ」
「クエン酸でサイダーを作り」
「プラスチック製の風力測定器」
「蟻の寝倉がスケスケの蟻の巣観察ケース」
「どこでもみれるハンディタイプ顕微鏡」
「酸素が二酸化炭素が自由に作れる二酸化マンガン実験装置」
等々なんだがたのしそうなのだ。

すぐにでも「000年生の科学」に変更したい!


と絶えること約1年。
念願の「000年生の科学」。
そしてこの「こんちゅうはばたき機(写真)に出会うのだ。


輪ゴム動力で羽根のハラ部分。
確かギッタンバッコン上下ギア運動で
4つの羽根を動かし大空を飛ぶ構造。
いままでは駄菓子屋で購入するゴム動力のプロペラ機であり、
4枚羽根が生き物のように動き、
飛ぶこの「こん虫はばたき機」は当時の小学生には魅力的である。
が〜しかし、この心臓部の製作は複雑で、
かなり不器用な私にはハードルが高すぎる。
強引に製作しからとどうかわからないが、
これが「飛ばない」。のだ。
カッタンカッタンと4-5回震えながら
彦崎小学校旧校庭の地面に落ちるのだ。
挙げ句果ては、羽根とクランク部分が疲労破損し破壊。
大空を飛ぶ「こん虫はばたき機」の夢は、
わずか製作時間1時間で世に出たのは
あわれ5分程度。

とにかく
「学研のおばさん」はおじさんだっだ。 
0027

2009-11-27 14:57

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

当時、月販で670万冊を売り上げたとうオバケ雑誌。
21世紀の現代では1万部売れたら御の字なのに。
なかなか作ることの出来ない「科学」が」いまだにトラウマ。

2017/1208/17:49

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