20180515

彦崎最後のクリスマスの日に。



イブの日は天神山から無断で取ってきた「もみの木」に飾り付けをして
お部屋で地元友だちを呼んで宴会。当然男祭りだ。
そして、翌日のクリスマス当日は同じ男祭り3-4人で
ワンカップとスカイセンサー5800持参で稲荷山・立石に登り巨岩のもとで宴会だ。2-3年は続いただろうかその行事?
たしか1976年-1978年間の高校時代だ。

立石の初登山は小学校高学年だろうか?
彦崎小学校校庭から見える山の中腹に垂直に立つ白い巨岩。
子ども達が気にならないわけがない。

以前にもこの稲荷山・立石の話にも書いたが、
「立石に通じる道はない」
というか誰も訪れることがない場所なのだから
当然と言えば当然。道はない。
トータル7-8回は訪れたわけだが、
その都度、道のない道を手探りに進むのだ。
150メートル級の山だが、バカにしたものでもない。
木は生い茂り、迂回コースのその途中には薄暗い谷があり、
崖のようなものもあり、川も流れ池もある。
かなり目的地に近づいた位置からでも
あの巨岩が見えなかったりする。
過去の登頂でも目的地に到着できなく、
遭難を恐れ下山したことはシバシバだ。
   嘘じゃありゃせん、ほんとうじゃぞ。

そんな苦労をしつつ4-50分。
生い茂る木々の中から突然に現れる巨岩。
まるで山の中から大魔神が顔を出してるようだ。
ここまでくればこっちのもので、
無事到着したときの気分と言えばこの上ない。
取り急ぎ岩の登り、「たるまんマーク」の1メートル級の旗を取り替えるのだ。
山登りには欠かせな行事だ。
そして岩下でベースキャンプを張るわけだが、
時効だから話すが、周りから小枝を熱め熱燗用の火をおこすのだ。
大人になった今から思えば、
乾燥地帯岡山南部それも乾期であること思えば、
かなり危険な行為と言わざる終えない。
若影の至りというか、クリスマスがそうされるというか。
とにかく皆でワンカップで乾杯だ。

これが東京上京直前、
彦崎最後のクリスマスのできごと。

写真はその「彦崎最後のクリスマス」に撮影した立石からの彦崎。
現在すでに無くなっている秋葉山の禿げた後の土が見える貴重なもの、
1978年12月25日の30年前だがすでに写真左の馬場・彦崎団地周りには家が密集し現在と変わらない。
宇野線・彦崎駅周辺に横長の倉庫が見える。当時はまだ彦崎通運の倉庫があった証しだ。
また、彦崎最大の鳥越邸はまだ出来ておらず巨大な新地が見える。

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2010-12-22 15:32
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1970年代後半の年末の過ごし方をまとめてみました。
小学校からの地元の3-4人といつも上っていた山。いや岩。
ワンカップ大関を隣町に買いにいって
無灯火で捕まり、派出所止まり。
よく学校が謹慎にならなかったおおらかな時代。
日本酒もしっかり呑みました。
写真もその当時のものがいいじゃないか。
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