20180223

札場三角田圃と井戸と畑。



現在、自転車置き場になっている場所は
以前「井戸と一畳分の畑」でした。
井戸は最後まで水を満たすこともなく、
これはたぶん大失敗だったのだろう。
レンガが崩れている花壇のようなスペースには
土手をつくり1平方メートル以内の田圃を作ったものです。確か小学校の4-5年のころだろう。
学校で一束の苗の配給があったのだ。
早速このレンガのスペース内に土手を作り
少し田圃の粘土質の土を入れ、
水をヒタヒタに見たし田植えをしました。
5X5列ぐらいだろうか?
当然田圃でないので水は蒸発し干され
その都度水を流しこむ。
が、それは3-4日で飽きるわけだ。
しかし、ここらだが折角なのだからと
当時の祖母ヤスがこまめに面倒を見たお陰で
秋になると立派に黄金の穂が付いたのだ。
鎌で刈り取り稲穂を取り
コカコーラホームサイズの中にいれ棒差し入れ脱穀。
テレビを見るときは常にザクッザク脱穀していたものだ。
その脱穀された米は炊飯されることもなく、
瓶と中の米は部屋のインテリアに。
これを見た母親は「一握りの米」とし、
山陽新聞に投稿。採用され誕生石である「オパールの指輪」をゲット。
内容は「何ひとつ長続きしない愚息が、汗水垂らして得た糧」的感動なお話。
しかし、ほとんどを支えたのは祖母のヤスであったわけで、
肝心な所が語られないのが世の常。
あの過去の英雄の歴史も「いいとこ取り」の愚息と同様なのかも。
とそんなことを思い出すこの庭。

写真にある雑なビニールハウスも
今思い起こせば兄の九州土産のサボテン専用だったかな。
たぶんその介もなくなく枯れてしまった。と記憶。

とにかくこちらから思えば土があり、
野菜を作ろうが花を咲かせようが自由なのだから
羨ましいかぎり。


写真は岡南2階から見下ろした三角田圃の一部と井戸と畑 。
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現在は駐輪場で年に一度の餅つきの会場でもある。
なにかの花壇にしたのだけど
このにわか温室が懐かしい。
たしかサボテンかなにかが入っているはず。
当時は部屋の中より温室の方があったかかったのですね。
2018/0223/16

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