20171219

とんど焼きと彦崎の冬。



全国的には「左義長(さぎちょう)」といい
1月14日ないしは1月15日の朝に
お正月の門松、お飾り、書き初めを燃やし
以降1年の厄払いをしたりするのだ。
中国地方では「とんど焼き」。
出雲を発祥とし、竹がはぜる音から来るとされているらしい。

今では考えられないが、
「とんど焼き」と称し
廃品である段ボールだとか原反の芯とかを
家の前の広場(写真/土が黒くなっているところで)で
よく焼いたものだ。
その火力は相当なもので、
燃えながら段ボールがヒラヒラと空に待っていく、
それは楽しくもあり、かなり危険。
「火だるま大王」的にはかなり思いで深い。


ゴミは自分の家で焼き、その灰は畑へ、
そして、生ゴミは穴のなかへ。

これは彦崎の一般的流れだ。その「とんど焼き」を初めとして、
野焼き、藁籾焼き、落ち葉たきと色々な物を焼き、
田舎ではかなり自発的に燃やし、
炎と煙が各家庭から上がっているものでした。
山火事の多い、乾燥地帯では考えられない
大らかさではないか。

年末にも
「イネモミガラ燃やし焼き芋宣言」が
のんさんからも出ました。
詳しい話ができなかったのだけど、
田圃で籾殻と藁を山積みしたものを焼く、
そのなかにサツマイモを放り込むわけだ。

そう言えば昔の冬は、セントラルヒーティングもなく、
せいぜい石油ストーブ。
広場の焚き火も「暖を取る」ために、
行われていたような気もする。
火の回りに、尻と尻の方に組んだ手を
温めていた大人の光景が今でも覚えている。
今では信じられない光景だ。

夜になると、よく祖母のヤスが
豆炭を七輪で焼き、
赤いアンカに入れていた事を
思い出します。
布団の足元に入れるためだ。

そういえば、朝になれば霜も降ったし、
霜柱で道はサクサク鳴っていた。
今とは雲泥の寒さだったのだろうか?
そんな思い出す冬。
たまには「とんど焼き」もやってみたい。
「火だるま大王」としては・・・・・。 
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このモノクロの写真は数少ない当時の写真からの1カット。
ここのブログはかなり写真が大きく扱えるっていうか
大きすぎ!
この貴重な写真。
左にちらっと見えるボロ駐輪場。
広場の土が少しこげているのも「とんど」の跡。
電信柱の手前に見える石はなんだろう。とか。
そしてバックにそびえるぼた山は圧巻だ。
子供は絶対遊ぶでしょう。そうでしょう。
2017/1219/17:51

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