20180606

刑事コロンボ死去。




先週2011年6月23日のこと。
正直このニュースを聞いたときに失礼だが
(あっ!まだ生きてたのか!)と。
いつのまにか自分の中で死亡していたコロンボ。
自分の中で実は死んでいた有名人はBBキング以来だ。
実は先々週にピーターフォークの自伝を呼んだばかり
2010年11月に東邦出版より出版された
ピーターフォーク自伝「刑事コロンボ」だ。
読みながら亡くなったことも書いてるのだろうか?
と思っていたほど、自分の中で死亡の一報を過去に聞いた記憶。

今から思えばこれは日本語吹き替えの小池朝雄氏が
1985年の死去した事によりコロンボは終了したからか・・。
それほど小池朝雄の影響はでかい。
当時、吹き替えではないピーターフォークの実声が
かなり高音でがっかりしたのも友達との共通の話題。

実際我々が「刑事コロンボ」にふれたのは
毎週土曜日20時NHK総合でのこと。
調べによると年も迫った
1972年11月26日から始まるシーズン1のこと。
個人的には中学二年出来上がった待望の一軒家の応接間での記憶。
オヤジとはいままで二人でテレビなんて見たことなかったが、
新築の応接間を謳歌するように薄暗闇で
家具調カラーテレビを見る日々。
特に印象的なのがこの「刑事コロンボ」。
タイミング的にシーズン2後半からシーズン3
ということか。
パートリッジファミリーのデビットキャディーの父
ジャック・キャシディ出演した1974年12月14日に放送された
「第三の終章」あたりが印象的か。

そういえば4月にもシドニールメットが死去
当時で言えば「セルピコ(1973)」と「狼たちの午後(1975)」あたりか。
そういえば「オリエント急行殺人事件(1974)」ていうのありました。

写真は当時応接間にあったソファー(手前の緑と赤のストライプ柄)。派手だがかなりオシャレだとおもうよ。今が工場の汚い応接室の格下げ。 

0140
2011-06-29 16:15 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
現在もその応接間はあるのだが
ほぼ母親の書斎に、デカイ家を作っていても
大きな家にたったひとりの母親。
これは現在大問題、将来その問題は加速しそうだ。
解決策は必要以上に一戸建てを建てない事。
2018/0606/18:06

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